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<デフリンピック>デフリンピック 「市民ランナー」青山がマラソンに込めた二つの思い

(この記事は、生まれつき聴覚障害を持つアスリートたちが参加する国際大会「デフリンピック」の男子マラソンで見事7位入賞を果たした一人の選手の感動的な再起の物語です。)

1. 「幸せな42.195キロ」を駆け抜けた市民ランナー

2025年11月25日、東京デフリンピックの競技最終日、陸上男子マラソンが行われました。日本からは、青山拓朗選手(29歳)=台東区教育委員会=が出場し、2時間32分4秒で7位に入賞しました。

青山選手は、目標としていたメダルには届かなかったものの、レース後には涙ながらに「幸せな42・195キロだった」と語りました。

彼は生まれつき聴覚障害がありますが、補聴器を使えばある程度会話ができるアスリートです。彼は仕事の傍ら、勤務前後の朝と夜に走り込む「市民ランナー」として、このデフリンピックに向けて準備を重ねてきました。

2. 箱根の夢破れ、世界への道を見つけるまで

青山選手の陸上キャリアは、中学1年から始まりました。高校時代は陸上の強豪、埼玉栄高に進み、全国高校駅伝では区間賞を獲得するほどの実力を持っていました。

しかし、進学した城西大では記録が伸び悩み、彼にとって最大の目標であった箱根駅伝のメンバーに入ることはできませんでした

一度は競技を諦めて一般企業に就職し、趣味程度に走っていた頃、彼は職場の上司から「デフリンピック」の存在を教えられます。彼は「世界を目指せる場所がある」と興味を抱き、再び本格的に走り始めました。

そして、わずか1年後、彼は前回2022年のブラジル大会の5000メートル日本代表に選ばれます。

3. ブラジルでの失意、そして地元での再起への強い決意

世界への扉を開いた青山選手でしたが、ブラジルでは悲劇に見舞われます。スタート前日、日本選手団から新型コロナウイルスの陽性者が続出したため、日本選手全員の棄権が決まってしまったのです。

この大きな失意から彼を立ち直らせたのは、**「次の東京デフリンピックに出場し、地元で頑張る姿を見せたい」**という一心でした。

彼は長距離の花形であるマラソンに転向し、地元である台東区役所に転職。仕事と練習を両立させる「市民ランナー」として、ブラジルでの悔しさを晴らすために、東京の地で走り続けることを誓いました。

4. 託されたメッセージを最後の力に変えて

東京デフリンピックのマラソン本番。青山選手は35キロ過ぎの給水所で、あるボトルを手に取りました。そこには「頑張れ、行ける」というメッセージが書かれていました。

これは、女子棒高跳びに出場を予定していた佐藤湊(そう)さんが書いたものでした。佐藤さんの競技は、出場国が少ないことを理由に、競技自体が中止になってしまったのです。

青山選手は、デフ陸上の合宿に初めて参加した時に、佐藤さんが最初に話しかけてくれたという縁があり、このメッセージに特別な意味を感じました。

「出場できない悔しさは自分も経験してよく分かる。一緒に戦いたい」。

青山選手は、競技を断念せざるを得なかった佐藤さんの思いと、ブラジルでの棄権の悔しさを胸に、このメッセージを最後の力に変えて走りきりました。

「ブラジルの悔しさを晴らせたわけではない」と語りながらも、彼は持てるものを全て出し切り、地元の東京で懸命に走る姿を見せきったのです。

まとめ:諦めなければ世界は開かれる

エリートランナーの道から外れながらも「デフリンピック」という新たな世界を見つけ、ブラジルの挫折、そして仲間の無念を背負って走りきった青山拓朗選手。

彼がマラソンに込めた二つの思い(ブラジルでの失意を地元で晴らすこと、競技中止になった仲間の思いを背負うこと)は、彼の「幸せな42・195キロ」という言葉に凝縮されています。

彼のストーリーは、現在アクセスランキング上位の時事的なニュース(大谷翔平選手の来店や海外サッカーの衝撃的なスコアなど)とは異なりますが、人々の感情に強く訴えかけるヒューマンドラマとして、多くの読者の共感を呼び、長く読まれる記事となるでしょう。

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